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連覇

祝!浦和レッズ天皇杯連覇!!q(≧∇≦*

祝!浦和レッズ今期2冠達成!!*≧∇≦)p



ギド・ブッフバルト(Guido Buchwald)
 ドイツ・ベルリン生まれ。
 元ドイツ代表。
 Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズ監督(2004年 - 2006年)。
 身長188cm、体重88kg。
 ドイツ代表として1990年ワールドカップ優勝を経験。

【現役在籍チーム】
* 1969年-1977年 - SVバンバイル(西ドイツ)
* 1977年-1978年 - TSVプリーツハウゼン(西ドイツ)
* 1978年-1983年 - シュトゥットガルト・キッカーズ(西ドイツ)
* 1983年-1994年 - VfBシュトゥットガルト(西ドイツ・ドイツ)
* 1994年7月-1997年10月 - 浦和レッドダイヤモンズ(日本)
* 1998年-1999年 - カールスルーエSC(ドイツ)

1978年シュトゥットガルト・キッカーズに入団、旧西ドイツ代表ユースに選出。1983年-1984年シーズンにドイツ・ブンデスリーガ・VfBシュトゥットガルトでデビュー。このシーズン、34試合に出場してリーグ優勝に貢献し、1993年-1994年シーズンまで同クラブに在籍。元西ドイツ代表デビューは1984年5月22日。代表通算76試合に出場、4得点。ちなみに、キッカーズ時代のポジションはFWであった。このためか、後の浦和時代にも機を見ては前線へ上がり、シュートを放つシーンが何度も見られた。

大柄な選手の多いドイツ代表においてもひときわ屈強な選手で、クラブ・代表ではディフェンダーとして活躍した。1986年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会では直前で代表から外され悔しい思いをしたが、1990年のイタリア大会の決勝戦ではアルゼンチンのディエゴ・マラドーナを完封。西ドイツの3度目の優勝に貢献した。この時のチームメイトでシュトゥットガルトでも同僚だったユルゲン・クリンスマン(前ドイツ代表監督)とは、無二の親友である。

1994年のFIFAワールドカップアメリカ大会を最後にドイツ代表を引退し、来日。Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズで1994年から1997年の3年半の間プレーした。浦和ではディフェンスの要として活躍。「ゲルマン魂」をそのまま体現する闘志むき出しのプレイスタイルはチームに大きな刺激を与え、それまで弱小クラブだった浦和を底上げし、サポーターから敬愛された。1995年・1996年には2年連続でベストイレブンに選出されている。1997年10月15日、浦和駒場スタジアムで行われた退団セレモニーでは、白馬に乗って場内を回り、多くのサポーターに惜しまれながらチームを去った。

1997年-1998年シーズンのブンデスリーガ・カールスルーエSCを最後に現役を引退。引退後はシュトゥットガルト・キッカーズのスタッフとなる。

2002年から浦和レッズのテクニカル・アドバイザー、そして2004年から監督に就任。第2ステージでは監督就任1年目にして、チームを初のステージ優勝に導いた。2005年のシーズンでは苦しいチーム状況の中リーグ戦では2位、そして天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝という成果を残した。浦和レッズが自身初めての監督経験であったがヘッドコーチのゲルト・エンゲルスとの二人三脚での指揮が3年目にして有終の美を飾った。2006年クラブ悲願のリーグチャンピオンの座を賭けた最終戦(34節)は12月2日に行われた。ホーム「埼玉スタジアム2002」で迎え撃つ形となった2位ガンバ大阪との直接対決を、両チームのサポーターが見守る中、浦和レッズが3-2で勝利を収め、初のリーグ制覇を決めた。
さらに、最後の指揮となった、2007年元旦の天皇杯にて再びガンバ大阪と対決。主力を欠く苦しい戦いの中、1-0で制して優秀の美を飾った。

(参考:wiki)


ギドが指揮官の最終戦だったのでもう一度調べてみた。彼が来た時のレッズはほんと弱くて・・・。そんな中、1vs1で圧倒的な強さを見せた彼のプレーはレッズサポの間では伝説的。

オフトがある程度のベースを作っていたとはいえ、J開幕当初からすると比較にならない実績をあげた彼にねぎらいの言葉を。

Danke schön, Guido!

***
天皇杯をTVで観戦している最中に、13から連絡が来たので途中だったけれども外出。13は今日からオーストラリア。時間が30分ほどしかなかったけれども、学芸大までいって少し話しをしてきた。おみくじを引いてきたらしく、そこに

捕らわれたカゴから外に出て、幸せになる。

って書いてあったとか。いい暗示だ、だってさ。Bon Voyage.

13の部屋でレッズが勝ったことは知っていたので、夜のニュースでまとめて見ようと思って、筋肉バトルをTVで観ていた。
去年は下田の旅館で見ていたけど、この企画は結構面白い。メジャーな中にマイナーなトップアスリートがいるのがいい感じ。

今回、アメリカの十種競技の代表選手が優勝したけど、最後にアメフトの木下典明選手が盛り上げてた。以前も、河口正史選手が活躍していた。この筋肉番付の競技はアメフトの選手、特にボールポジションの選手にとって非常に有利なような気がする。なぜかというと、

1アメフトの普段のトレーニングと近い競技が多い。
2参加競技の中で、ボディコンタクトがあるものが少ない。


この二つが大きいかな。番組内の競技を見ると、超瞬発系と敏捷性を試す内容の得点の比重が高い。
と、なると一般的にAgilityと言われる運動能力が高い競技をやっている人が有利なのだけれど、これらをベースにトレーニングをやっていて、更にボディコンタクトが許されている競技ってアメフトとラグビーぐらい。なので、高いレベルの瞬発力があれば、ボディコンタクトやパワーで勝るアメフトって野球やサッカーに比べて有利なんですよ。
特に、最初のフラッグや、最後のショットガンなんかは、10m程度のダッシュ力を競う内容だけれど、これってアメフトの十八番だしな。更にポジションがレシーバーならなおさらだよな。


余談になるけど。スポーツをやっていた人ならわかると思うけど、「短距離」っつーのは実は色々と適正があって、10mが早い人、50mが早い人、100mが速い人っていうのがある。

意外かもしれないけど、10mと100mでは全く適正が変わる。

アメフトはフィールドの端から端まで100ヤード(約91m)。じゃあ、100m走が速い人が有利かというとそうでもない。なぜなら、プレイ中に100mの距離を走ることはほぼないから。むしろ、10mの距離を速く走り抜けれた方が有利。だって、それ以上走る前にタックルされちゃうし。10mが速ければタックルかわせるでしょ?そっちの方が重要なのです。
10m走るのが速い人っていうのがどういう事かっていうと、

「1歩でトップスピードに乗る人」

だ。これって、できる人は少ない。自分もできない。自分はトップスピードに乗るのに「3歩」かかる。(昔測定した。)
良くわからない人は、全力疾走してみるといい。最初の一歩から速く走れないから。

なので、10mは速くない。その変わり「40mが速い」。
アメフトをやっていた時に、40mならチームの誰にも負けなかった。ただ、10mや100mだともっと速い人がいたんだよね。だから、40mの速さを活かせるポジションやプレーを担当していたのですよ。(ちなみに、もっというと自分は100m以上のトップスピードのキープができない。そういう筋肉だから。)

何が言いたいのかっていうと、ざっくり世の中で分けられているものは、もっともっと細分化できて、その特性っていうのは様々なものがある。だから、一般的に言われてるものや、目に見えているものだけで人やその能力を判断すると、素晴らしい才能を見逃す可能性があるってこと。

短距離が速いって言えば、普通は100m走を思い出すけど、その中でも10mや40mなんていうもっと細かいところで自分の能力を発揮できる人がいる。世の中の全てはそんなもんで、そう考えると、能力を持っていない人なんていないじゃね?

・・・なんてことを思いながらひとりでTVを見てました。

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ドイツがすごい

SVシュツットガルトキッカーズ(ドイツ) 1978年 - 1984年 VfBシュトゥットガルト(ドイツ) 1984年 - 1989年 インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル(イタリア) 1989年 - 1992年 ASモナコ|モナコ(フランス) 1992年 - 1994年 トッテナム・ホットスパー|トッテナ

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