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Untitled

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漠然とした願いでもあるけれど。

今年1年の展望で予見できる範囲で見ていた。努力と勉強を怠らなければ、仕事は順調に行く。これは自信がある。想定外のことが起きても、対応ができる範囲でなんとかなる根拠もある。残りの半期で投資を徐々に始めながら累積の赤字を清算して、利益を出していけると思う。そこらへんのところは、今月には確定。そうすれば、収入面では、以前のレベルに戻せるし、来期からはかなり上回ることができるから、トータルで独立したことは正解だったと胸を張りたい。

そうしたら、真っ先にこれまでは支えてくれた人に恩返しをしなきゃ。その時に自分が何をできるかを考える余裕ができているのは、いい感じ。

それが夢にならないように、一歩一歩できることをやっていくだけ。

Can't be your Superman?

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イニシャルの「S」は、とても思い入れがある。一番好きなアルファベットだし、Supermanのマークだったりもする。親が初めてSupermanの映画を観た時に、目をキラキラさせながら喜んでいたと言ってた。

だから、誰かのSupermanになりたいと思っているんだと思う。自分を必要としてくれる誰かの。

Morning...

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from flickr

中途半端に寝てしまったので、二時過ぎから今までずっと起きてた。
TSUTAYAにDVDとCDを返しに行かないといけなかったので、朝モヤの中テトの散歩も兼ねて駅前まで。帰りになんとなくマックのブレックファストをテイクアウト。たまにジャンクなものが食べたくなるな・・・。

部屋に戻ってきて、これからホットミルクを飲んでちょっと寝るね。
こういう平穏な日々が続くと、とても幸せ。

Cry for

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激しく体調不良。睡眠不足だな。
かなり気持ち悪いので、今日は流石に早めに寝ないと。

全てを忘れて。

悪魔でも恩師と呼べる人との出会い

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悪魔のような教師と俺の3年間の戦い
http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-249.html

1年間で最も聖なるっぽい日にこのエントリのまとめサイトってのはありえないと思って読んでみたんだけど、これがもし本当の話ならちょっと凄い。コメントにもあったけど、スクールウォーズ+ドラゴン桜のハイブリッドだ。

自分の通っていた高校は進学校でもあったので、何人か東大に合格をする人がいたし友人に東大卒の人間もいる。高校からの知り合いで東大に行った人間に共通する部分がひとつあって、

「高校1年生から東大を目指している。」

という点。自分は東大は他の大学と違って、「目指す覚悟」がないと行けない大学という認識がある。上のエントリにある通り、冗談抜きで3年間それを目指している人間が始めて合格できるケースしか身近では知らない(ただし、それは前期試験のみの話であって、試験のスタイルが変わる後期では私立希望の友人が記念受験といって受けたところ、合格してしまったという話はある)。

個人的に、高校の3年間を自らのこういう意識で過ごして最高学府に行った人達はすごいな、と思うのだけれども、上のエントリの凄いところはその意識を担任が無理やり変えさせたというところ。

確かにやり方はめちゃくちゃ。今の世の中だったら確実に問題になる。ただ、自分の世代に関して言うと、特段辞書で殴ったり髪の毛をバリカンで刈る先生は特に珍しくもなかったので普通に受け入れられる。

でも、これだけの思いをして、一時は憎んだとしても、その結果最後には感謝をするような教師との出会いはどうなのだろう?決して馬鹿にするわけではないが、ここまでの覚悟の教師との出会いは自分にはなかった。何か先生の一言で人生の目標なりが変わったことがない。それは自分自身にも明確な目標が、それがたとえば東大に行く!といったような短期的なものでもなかったのも理由のひとつ。一方で、あの時あの教師の言ったとおりにしておけばよかったという後悔もない。もし、そういう人と出会っていたら、今の自分はまた違う場所にいたのかなとか考えた。


こんなことを思うのも、実家に戻ってきて小学校から大学まで向かっていた机でエントリを書いているからかも。

それにしても、ハンパなく寒い・・・。自分の部屋はまったく暖房器具がないんだけれど、よく昔はこんな場所で真夜中まで勉強していたな。。。

ヒューマニズムとエコロジー

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もののけ姫とナウシカの問い

このエントリで、ヒューマニズムとエコロジーの対立という論点から宮崎駿映画を見ているんだけれども、なんとなくホワイトバンドの事件を思い出した。

2年ほど前に大流行したホワイトバンド。既に展開自体は終了しているのだけれども、街中に白いシリコンバンドをした人が溢れかえった。ほっとけない世界のまずしさというものはまさにヒューマニズムの現われだと言える。この時に状況をよく理解しておらず、なんとなくのブームでそのヒューマニズムに共鳴してしまって動いていた人も多いだろう。自分もそんな中のひとりだったし(U2のボノの写真を見て、なんとなくつけていた。)

ただ、もし世界から貧困がなくなるとすると、その先にはエコロジーの破壊が待っているのは間違いない。全ての人間に十分やインフラや食料供給が行けばそれだけの資源を使わなければ維持することができないことは考えなくてもわかる。ほっとけない、世界のまずしさによってエコの視点はほっといていいのだろうか?そういうことはないかもしれないが、この活動には、こうした視点が欠けていて「貧困をなくす」という共鳴のみで動いてしまう可能性が高い。

もののけ姫とナウシカの問いのエントリにおいて、アカデミー賞を取った記者の質問が面白かったという文で、アメリカ人が物事を善悪でしか捕らえないという観点は納得が行く。大統領が他国を悪と言い切る国だもの。こうした中で、ヒューマニズムの観点からいけばエコロジーはまだ軽視されている。これは環境問題への取り組みは自国の利益を損なう可能性があるのに対して、ヒューマニズムに突き動かされた活動は、余力で行えば自己満足な正義感を満たすことができるから。

どちらも疎かにしてはいけないんだろうけど、ホワイトバンドの時のような何か見えない力によって短期的に極端な思考に共鳴するのではなく、もっと将来を考えてバランスを取りながら両者を満たす方法を探らないといけないんだろうな。飢餓で子供を死ぬのも見たくないし、地球が壊れていくのも見たくない。ヒューマニズムとエコロジーの対立ではなく、両立を常に考えないといけない。


アメリカ人の絶対的正義への固執を見て、24が人気ある理由のひとつがわかったような気がした。ジャック・バウアーってアメリカ人そのものなんだね・・・。




もののけ姫もののけ姫
(2001/11/21)
松田洋治、石田ゆり子 他

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風の谷のナウシカ風の谷のナウシカ
(2003/11/19)
島本須美、納谷悟郎 他

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酔っ払いの独り言

   ■眞露(25度 韓国産)を飲みながら

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ガロンで飲むのはやめなさい。

という多くの人からのお叱りを受けているので、今晩から「JINRO、それはたのしーいお酒」をグレープフルーツジュースで割って飲んでおります。この飲み方、昔お付き合いをしていた女の子がお気に入りの飲み方だったな。PCのスピーカーからは気持ちよくJAZZANOVAがかかっていて、そのPCが乗っているテーブルの下にテトが入り込んで、ミニシュナの本能剥き出しにここほれワンワンな夜。

なんか、家のPCのメーラすらサーバに繋がらなくなってしまったので、投げ出した。もう、自分のスキルじゃどうにもなんね。WEBページを色々と調べるのももう飽きたし。


最近、なんか社会の構造的なモノが一線を越えて見えているような気がしたりして、ちと苦笑いをしてしまうことがある。どういうことかというと、垂れ流されているニュースをそのまま受け止めてはいけないということ。メディアは主観が入り、傲慢なまでにその意見を押し通し、それを世論として扇動することが普通なんだな、と。

全てのメディアがそうであるとは言い切れないのがまたやっかいなのだが、そうした情報に踊らされてるのはこの狭い島国だけでなく、世界中がそうだったりするわけで。当然、ちょっと賢い人はその事実にすぐに気がつくので、その現実にキャンキャン吠えたりするんだが、そんなものは大きな力に握りつぶされるのが常で。ただ、そうした中でもネットが持つパワーというのはそれまで容易に握りつぶせたものが、容易でなくなってしまったということだ。

例えば。民主党の小沢一郎が辞意を表明したことを、自分から大連立構想を推し進めて政局の混乱を招いた責任によるものだ、ということをそのまま受け止める人が多かったらば、それが問題。そんなわけないだろ。それを「逆ギレ辞任」とか表現しているメディアは、もうそろそろ自民党を叩くのにも飽きたら民主党を叩くか、という浅はかなスタンスにしか見えないのだが。結局、どれだけショッキングな見出しを出すことしか考えていないのであって、それなら東スポを読んでいた方がマシということになる。どっちにしろ、民主党が政権を取ったらば、この日本が変わるかというと、全くもってそんな事はないので何も心配などしていないし。ただ、色んなブログをななめ読みしている限り、そんな主観全開の報道なんぞに影響されていない人が多いのは、賢い人は結構いるんだなと。自分が逆立ちしても敵わないほど思慮深い人も多くて、それはそれで自己嫌悪になったりもするが。

考えれば、考えるほど萎えるのだが、この住みにくい国で強く生き残る為には、ドライであればドライである方がいい。特殊なスキルや天性の才能を持たないといけないような分野でない限り(例えば、100mを10秒台で走るみたいな)、そうした方法論は確立されている。それが人間の英知だ。あとはそれを実行できるかどうか。それが一番難しい。やる事は誰でもできるのだけれど、そこに様々な理由から逆のバイアスがかかる。そのバイアスは、とても楽で、とても簡単で、自己を正当化するのに最もらしく見える。ただ、抗える人は5%程度だろう(この数字はある根拠があるんだが)。その5%になるかどうかってのが自分の課題。強い精神と冷徹なまでの冷静。それが極みなんだろうな、と。そんなだからこそ、一方で大事な人を守ることの大切さもわかるのかもしれない。

そんなわけでテトも寝たし、写真のビンもすっかり空になったし、ひとりしきり胃の中のモノを吐き出したので、そろそろおやすみなさいzzz。

技術と過程と、そして理想

サッカーの日本代表の試合を見て思ったことがあるんだけど。

やっぱり、全てにおいて技術や知識の充実というものは、超一流になるために必要不可欠な事だ、ということ。高原の得点を見て、あのトラップが出来なければシュートを打つことすらできなかった事を考えると、そんなことは明白だ。

スーパーサッカーを観ていたら、中村俊輔が出演していて、

「いい選手というものは、同じ考え方をするので、すぐにわかりあえる。」

というような内容の事を言っていた。ああなるほどと思う。

その分野において、しっかりとしたベースメントのある人は、パフォーマンスに対しての結果が理想として見えているのだと。だからその理想に100%近づけるために、日々鍛錬を積んでいくわけだけども。問題はこの「理想」の過程がどれだけ具体的に見えているか、の方が重要。

例としてアメフトで話をあげると。ランニングバック(RB)というポジションがある(ジャンプのアイシールド21のポジション)。ここは、基本的にボールを持って走り、陣地を前に進めることが役割なんだけれども、優秀なRBは走るルートがまるで線を引かれたように見えるのだとか。それは、相手ディフェンスや味方のブロッカーの動き全体を捕らえて、それまで練習の積み重ねから自然と体が動くことを表しているじゃないか、と。自分は残念ながら、こうした光を見ることができる選手ではなかったが、極稀にタッチダウンまでのイメージがボールを持った瞬間に感覚的にわかる時があった。

また、バスケにおいてもそんなのがある。「スラムダンク」でミッチー(三井)が、3ポイントシュートを放った瞬間に「入った!」と拳を握るシーンがあるけれども、あれは本当で、リリースのタイミングの手の感覚で入ったか外れたかはほとんどわかる。リングに向かって弧を描くボールの姿がイメージできているのだ。これも何回もシュート練習を繰り返した結果、身体に染み付いた感覚があるんじゃないか、と。

アメフトにしろ、バスケにしろ、そこには、練習の積み重ねみたいなものがあって、つまりベースメントとなる技術なりが必要になってくる。それによって、理想の形に近づけるようになってくるわけだ。当然、これに加えて、フィールドがスポーツ以外ならば、それが知識であったり経験であったりがより重要になるものもある。それによって、理想に達する過程をより具体的に見ることができる。

その理想と過程の組み合わせが、タッチダウンに対してのRBのランニングルートであったり、3ポイントシュートのボールの描く弧であったり。


様々な話を聞く中で思うことは。人々というのは、理想を想像することは容易に出来るけれども、その過程を描くことができない人の方がほとんどなんだな、と。

営業の仕事をしていたとしよう。理想は「売上をあげること」であることを考えることは容易い。問題は、それまでの過程をどうやるか、と考えることができないのだ。そんなの普通難しいよ、と言う人が多いかもしれないけれども、実はそんな事はない。この世の中において、今までの常識を覆すようなものというのはあまりなくて、多くの事が理論的に解明されいるパターンがほとんどだ。そして、それには成功論が確立されていて、それを踏まえることによって、理想に近づけることは可能なのである。

なぜ、それが出来ないか。というのは、その当たり前とも感じることを実践することが一番難しいからである。世の中を勝ち組と負け組で分ける文化が日本にも現れ始めているけれども、この二つを比較した場合、勝ち組の方が圧倒的に少ない。これは、勝ち組が特別な事をやっているわけではなくて、負け組がやらないことをやっていて、やることをやっていないからだ。そして、負け組がやることというのは得てして「楽なこと」で「自己的な判断に基づく」ことが多い。そして、勝ち組の人間はその事を知っていて、負け組の人間はそれがわからないのだ。それが、勝ち組になるための技術や知識であり、それをベースに過程を踏んで理想に結びつけるのである。

やっかいだな、と思うのは、個人で動く場合ならば問題がないが、組織として動く場合にその組織を動かす人間に負け組の人が来た場合だ。これは結構ある。
例をあげると、夕張市。これは前市長がモロにそういう発想の人間だったために破綻をした。プロ野球や相撲なんかもそうだ。負け組の発想を持った人間が協会を支配していたから、ファンが離れていった。もちろん、彼らにも理想はある。ただ、その理想に近づく為の過程がわからなかったんじゃないか、と。(夕張のパターンは理想が根本的に間違っていたのかも知れないけど。)

過程はわかっていても示せないパターンがある。ジーコジャパンなんかがいい例だと思う。ジーコ自体は優秀なサッカー選手だし、それは疑いの余地はないんだけれども、コーチとして上に立った時に、自分の理想を選手に示すことができなかったんじゃないか、と。ブラジルほどの技術が日本選手にないことを理解して、理想までの過程を違う方法で示すことができれば、前回のW杯はもうちょっと違う結果になったかも知れないし、最後に、選手のフィジカルに敗因を結びつけるようなことはなかったかもしれない。

コンサルの仕事において、このケースが一番多い。つまり、過程を教えて欲しいという内容のもの。でも、過程を示すことは出来ても、それを実践させる方が難しいんだよね。なぜなら、技術なり、知識がないから。だから、様々な理由(時間、コスト、マンパワーetc.)をあげて抵抗される時が多い。それなら、なんで相談するんだと・・・と感じながらも、丁寧に説明をしていくわけだが。ただ、この類の仕事は、お客さんではなくて、クライアントとして受けているので相手に最終的に本気度を感じない場合は仕事自体をお断りすることもある。特に、企業のトップが技術と過程を理解しない(もしくはわからない)場合は、結果が伴わない場合が多いだけでなく、最悪責任だけを追及されるケースもあるから。


自分の事で言うと、プライベートにおいて、この技術(知識)・過程・理想において苦労してきたことあって。プロも存在する世界なんだけれども、最近、頭で理解したつもりだった過程を、ようやく実践することができるようになってきた。2年ほどかかった。まあ、理想にはほど遠い結果だけれども、ちょっと前進したような気がする。

それにしても。ほんと難しいと思う。理想を叶える為の、技術を身につけて実践するのって。

世代別の考察

最近、ブログ自体を短くまとめている時が多かったのだけれども、これは理由が二つあって。

1.長いと読む気にならん・・・という声が友人からあった。
2.単純に忙しい。

1は特に気にしているわけではないけど、それなら、もうちょっと読みやすいようにしてみようと適度な長さがどれくらいなのかを模索してみている。個人的な意見ではスクロースせずに1分以内に読めるものがいいのかな。

2は、これはどうしようもなく、長く書こうと思えば延々と綴れるので自分で簡潔にしようという意志が働いているのか。


気がつけば、今日は世の中は祝日らしく。体制に属しているわけではないので、前日になってその事がわかった。なので、自分も仕事自体がデスクワークのみになっているので、精神的にゆとりを持った夜を過ごしている。

んで、たまにはちょっと長めに文章を書いてみようと思って。最近、なんとなく考えたことをつれづれと。


いきなりの爆弾発言なのだけど、個人的に50歳以上の日本人男性を自分は毛嫌いする。俗に言う団塊の世代というヤツだ。
何度か過去にも書いたけど、理由はいくつかあって。

・年功序列的な思想が強く、年下を舐める傾向が強い。
・それでいて、組織的なしがらみが強いので、訳のわからない協調性を求めつつも、低レベルの競争意識が過度に強い。
・なのに、劣等感も強く、自らの過ちを認めることができない。

こんな感じなんだけれども。もちろん、そんな世代にも個々で見ると、自分が一生敵わないと思うような、人間的に素晴らしい人々も多い。ただ、「前述した世代」を森に例えると、そういう素晴らしい木もあるっていうだけで、全体的な森にイメージはなんら変わらないものがある。

団塊の世代・・・は高度経済成長時代に働き盛りを迎えている。その時代って、今の中国みたいなもんだから、何かしら働きゃ上に行けた時代なんだよ。今よりも生活水準が低く、競争も激しくなかった(と、いうかレベルが低かった)から何かやりゃぁ、それなりの結果になった。言い換えると、別に頭を使わなくても、身体を動かせば結果が出た時代。そんな人達の価値観を押し付けられると困るんだよね。裏をかえすと、頭を使える人を認められないかわいそうな世代でもある。

ライブドアの判決を見て、その思いがさらに強くなったことも以前書いた。堀江氏が実刑を受けることにはなんら問題もないし、ある意味当然という気持ちがある一方で、過去のカネボウなり、日興コーディアルなりの事例はじゃあ、どうなるのかな・・・と強く思う。こんな事をOKにしてしまっている世の中にしているのが、この世代だと思うと、激しく萎えてしまうのだけれども。



で、その下の世代。今、だいたい40歳ぐらいの人達。いわゆるバブルを若いときに経験した世代だが。傾向からいって、二極化されている。

まずは、頭のいい人。社会に出て、旨い部分も辛い部分も経験している人が多く、それをしっかりと糧にして自分を確率しているタイプ。キレ者って感じかな。

もうひとつが、まだバブルな人。一度味わった蜜の味が忘れられず、その思想から抜け出せないタイプ。良くも悪くも楽観主義・・・。

両方とも共通しているのが、人付き合いが日本人的に上手ということ。一方で、その中で前者は思慮深く、後者は衝動的。前者は控えめで、後者は派手好き。もっと言うと、前者は秀才で、後者は馬鹿。

問題は。後者のタイプは「大風呂敷を広げる」ことが多いので、訳のわからんテンションがある。あと、人脈が命の人が多い。人脈は確かに重要なファクターの一つであるけれども、それだけで、本人に中身がないんだよ。。。

話す内容にやたらと「この人はスゴイ」とか「こんな人と自分は知り合いです」的な部分が見えたら、疑っていい。本人は空っぽの人の可能性が高いから。



そして自分達の世代。まだ若い事もあって、結構世の中を舐めている人が多いかな。自分も含めて。ただ、とても甘いところがあると思う。良く言えば、楽観的、悪く言えば、何も考えてない・・・。これ以上はちょっとわかりにくいんだよね。やっぱり同世代だから、客観的に成りきれないのか。



個人的には、若い世代に行くほど、頭がいい人が多い。これは情報や教育方法などのレベルが上がっているからだと思うし、やはりなんだかんだいっても、より国際的になっているので、視野が広がっているんだろう。

だから、自分よりも若い今20代や10代はもっと頭が良く、素晴らしい人々がこれから登場してくるんだと思う。そういう人に負けないように自分も切磋琢磨していかないと。

明日はライブドア事件の判決

明日、ライブドア事件で堀江元社長の判決が言い渡される。

裁判所がどういう判断を下すかというのは、普通に興味があるんだけど、日興コーディアル証券のああいった周辺の対応を見ていると、この日本って国はほんと萎える・・・と感じた。ドラマじゃないが、「アンフェア」だって。

それで、一方で賠償請求しているライブドアの個人株主達が集会を行ったそうで。100人ぐらいが集まって「損害支払って」とか言ってるらしい。

自分も株式投資はやるので、あの事件で特にライブドアの株主がどれだけ損をしたかよくわかるけど。自分の意志で株を購入して、その会社の起こした事件で賠償請求って、ほんとどうしようもない投資家達だな、と思う。

気持ちはわかる。けど、垂れ流される情報に踊らされて、「儲けてやろう」という気持ちで投資したものは、どういう結果に終わったとしてもそれは自己責任。

経営者が嘘をついている可能性を(例え、それが法律に反していたとしても)無視して、その責任を取れないんだったら投資すんな、と。数百万近い損害を出した人もいるらしいが、それで勉強したと思うしかないだろう。中には1億以上損をした人もいるみたいだし。


あくまでも個人的な意見であるが、さらに言わせてもらうと、上場企業の多くが大なり小なり嘘をついていると思う。それが経営者としての仕事でもある。上場した瞬間から、その企業は永続的な拡大を求められる。それをいかに誤魔化しつつ会社を大きくするのが大事なんだから。
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